スポーツエイドステーション アルカンシェル/長崎県佐世保市

最近また思わされた

自転車って、ほんの一つパーツが欠けただけでも走れない。軽量マシンはボルト一本の軽量化、1gの肉抜きを積み重ねて作り上げる。精度を上げるため磨き抜かれたパーツを、無駄なく組み合わせてできているところが格好いいと俺は感じてる。

パーツの製造過程を聞いても、フレームの作製を見ても、そこにはそれぞれの最善を尽くす作業があり、一つ一つに手を抜かなければしっかりした完成車が出来上がる。モノ作りにも組立てにも職人の気持ちが入っているので、プロ意識の塊でレーサーはできている。

もちろんすべてがレーサーというわけじゃないけど、各々対価に応じた努力はされていると思う。世の中の商品は大抵そうだ。対価>商品では淘汰される。

この、「対価に応じた」というところが持ち主の妥協点。一般に対価に対しこだわりや満足感が上回るモノを探すのだろうけど、満足感の中にある知識や情報に対しては無料で手に入れようと考える人もいる。いいとこ取りというやつ。軽薄な情報はネットでタダで手に入るが、人に働かせて美味しいところだけをタダで持っていこうとする人は嫌い。

フレームやパーツを造る会社、輸送や組み立て販売する人、経験に基づくアドバイスや情報提供、1/10しか実にならないと分かってやる仕事。全てそれなりのコストを掛けているのに、自分だけはそれを利用し、無料でかっさらっていこうとするのは格好悪くないか?自分の周りみんながそんな人達だったらどんな感じだ?

価格は、製造原価と製造販売側の努力と付加価値とでできていると考えるなら、あまりコストをかけたくない人はそれなりの満足感で商品を手に入れればよい。幸い定価というものがあればそれ以上支払う義務はないし、購入店によっては対価以上の満足感を与えてくれると思う。しかし付加価値は数値化できないので、自分が受け取る量は与えた量に影響されるというのは大人なら当然知っているはず。

俺は全く人間出来てないから、感じのいい人や義務を果たす人には最善を尽くしたいと考えるし、フリーライダーには報いを受けてもらおうと邪悪な考えが頭をよぎる。特に自分が煮え湯を飲まされたら、いつかどこかで地獄に突き落としてやろうかと・・・・まではいかないが好い気はしない。

貧乏育ちだったので、お金の重たさはなんぼか知っている。稼ぐには血と汗を流さなきゃいけなかったし、支払わないと受け取れないのも知っている。支払わないで持って帰ったら万引きだと子供の頃に教わった。

だからこそ付加価値に対価を支払い満足感を買える&売れる「格好いいおっさん」になりたい。 道半ば。

スポーツエイドステーション
アルカンシェル

〒858-0925
長崎県佐世保市椎木町533-5
電話:0956-48-4131
建物裏側に駐車場有り
営業時間:
10:00~12:00
13:00~19:00 

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