スポーツエイドステーション アルカンシェル/長崎県佐世保市

入院日記9

投稿日 2024年1月29日 月曜日

1日2回の屋外歩行訓練。そういえばデイケア周辺で介護士に連れられて歩く老人をよく見るが、傍から見たら杖ついてよぼよぼ歩く姿は俺も同じ。せめて胸を張って偉そうに歩けばステッキに見えるかも(ダジャレじゃなくて)。

以前車いすに乗った方から歩道の傾斜がとても辛いという話を聞いていたけど、確かに摺り足ヨボヨボだと路面の細かい凹凸も傾斜も敏感になる。危険はそこかしこに潜んでいる。

車で走ってると気にもしない路面が、自転車だととても荒れていて走り難いとか勾配があって重いのと同じようなもの。 平坦地でこれだから年取って斜面地に住むのはかなり大変だろう。

ずいぶん長い間徒歩で移動する機会が減っていたので、散歩してると新たな気づきがあるものです。何人もの杖をついた老人を見かけ、健康そうな人とすれ違うので、歩きながらいろいろ想像してしまう。

今、心無い無責任な奴に突き飛ばされたら俺はどうなる?悪意がなくてもアクシデントはあるかもしれない。 昔大腿骨を折って復帰直後に後輩が4の字固めを仕掛けてきた。「ノーノ―折れてる折れてる!」知らなかったとはいえ恐ろしい奴だ。そんな男が現在某県の代表監督をやっているけどいいのか?

そういう奴がいないとも限らないから今後しばらくは慎重な行動に努める。皆さんはAECで会っても、決してプロレス技は仕掛けてこないでくださいね。

くれぐれも労わって下さいますよう宜しくお願い致します。

つづく

入院日記8

投稿日 2024年1月28日 日曜日

いよいよ退院目標に設定した週が明日から始まる。様々な都合もあるが、今後どれだけリハビリの成果が出るかによって決まるだろう。知人からは「リハビらざる者食うべからず」と有り難い言葉をもらった。

今ではリカンベントを先に乗り出したじいさん達がおしゃべりしてる間に追越し、逃げ切り体勢に入った。俺は黙々と自分で決めたメニューをこなしている。

初めて固定バイクに乗るおばあちゃんは「自転車に乗ったことがない」という。PTの実習生も「僕も長崎育ちなので自転車乗れません」「自転車乗れますか?」と聞くので「昔乗ったことはあります」と答えておいた。

仮出所が認められ屋外歩行訓練へ。久しぶりの娑婆の空気は冷たいと聞くが確かに。でもうまい。 路面は平坦に見えても思いの他うねっていて歩き難い。普段なら気付かない僅かな下り傾斜が歩幅を縮める。 普通に歩くのって難しいな。

杖を持っていると割と車は道を譲ってくれるが、横断歩道に立っていても無視して突っ込んでくるご老人もいる。油断はできないぞ。そうだこんな時は印籠をもらいに行こう。年寄りは印籠に弱いはずだ。

散歩がてら保健所に行き例の「ヘルプマーク」を申請。ちょうど一年前に書いたあれだ。佐世保じゃ必要ないかもしれないけど、全国各地で助けてくれるかもしれない。すぐくれた。

休憩中、真っ直ぐに立つとこれまでとは全く違う感覚。そう、当たり前に両足が伸び切っているからすごく楽。従来の片足立ちとは違うから疲れる感じがない。おいおい、みんなこんなに楽してたの?

そしてちょっと歩いただけでバチバチの筋肉痛。夜はこっちが痛くて眠れなくなった。だって何年も使ってなかった部分をこれから使っていくんだから赤ちゃんみたいなもんだ。

チンバでビッコでガンニャの俺は卒業する。やりたい事をもっとやれるように、行きたい所にもっと行けるように、サイボーグとして生まれ変わる。

つづく

入院日記7

投稿日 2024年1月27日 土曜日

新たなステージ二つ目は仕事。一応社会人なので忘れてしまったわけじゃない。

体の痛みや疼きでそれどころではなく、ミスを避けるためにも我慢していた。が、そろそろ溜まる一方の事務処理を進めておかないと来月まずいことになりそう。

現場作業はともかく、今はPCがあれば結構な仕事がこなせる。むしろ自転車屋もPCがなければ全く仕事にならないくらいなので、病室で事務処理ができて本当に良かった。

いつも後回しになるブログだって毎日のように更新できるし、電動ベッドに寝っ転がったまま仕事できる。更に言えば一日3食ルームサービスが運ばれる。日頃10年に一度も計らない体温だって血圧だって日に何度も調べに来てくれるし、トイレも風呂も数歩で使えるこの環境。もしかして老人ホームに入っても十分仕事できるんじゃないか?

安静にしている時間が短くなると同時にやることが増えてきた。もうちょっと暇だと思っていたんだけど・・・  新たなことを始めるには時間圧縮で合間時間を増やすか、従来の無駄な時間の浪費をやめるしかない。それができなければ昨日と同じ明日だ。

入院中は時間の使い方も大事な復帰プラン。生活習慣の見直しにも丁度良かですね。

つづく

入院日記6

投稿日 2024年1月26日 金曜日

入院中は暇と思われがちだが、リハビリもアイシングも沢山あるし、検温、回診、食事、検査、風呂など定例義務は意外と多く、自身の動きもノロいので何かをやるにはこの合間の時間をつなぎ合わせるしかない。自主練も増やしたから昼寝もできない程忙しくなってきた。

病院での生活リズムにもだいぶ慣れたし、力の入れ処と抜き処も読めてきた。リハビリも無暗矢鱈に頑張っても無駄で、体の声を聞きタイミングが来た時にしっかりやると効果が上がる事を知っている。(なにしろ復帰のプロだから)

という訳で、身体も少し動けるようになってきた今、二つの新たなステージに入った。一つ目のリハビリではあの拷問マシーンを卒業し、リカンベントでペダリング。

最終的に拷問マシーンの限度角一杯も難なくこなせる様になり、所詮口ほどでもない機械だったと判明。まだ人間がロボットに負けるわけにはいかん。

リカンベントは空気抵抗が少なく、前傾を保てない一般人でも結構な高速で走ることができる仰向けで走る自転車。バンクで走った時はレース用バイクでないにも関わらずいいスピードが出て驚いた。あれ楽しいからいつか手に入れようかな?

これのリハビリ用固定バイクからスタート。ようやく自転車らしいものに跨がれる日が来た。

細かいことを書き出したら切りがないけど自分の自転車選手としての感覚がまだ残っていることにも気づかされた。きたぞー細胞が活性化する感覚、これからが本当の復帰(どこに?)だ。

ペダル上の足裏の感覚、クランクの長さやシートの角度、足首膝股関節の軌跡、インナーマッスルの動き・・・あらゆる部分と全体の連動に神経が巡りだす。40年以上折れ曲がっていた膝が真直ぐになった動きに感動すらあった。

今思うとこんなにバランス崩れたままで、かなりハンディ背負って走ってたな。俺って偉いわ(一応自分で褒めとく)おっさんなのに身長が2センチも伸びて別人になったぞ。

つづく

入院日記5

投稿日 2024年1月25日 木曜日

TVは時間の無駄だから入院中はPCと読書に勤しむ。病棟にも書棚があり 「ゴルゴ13」を発見。最近書いてなかったが俺は大ファン。何度本気で仕事を依頼したいと思ったことか。

彼のように超一流クラスになると簡単に会える機会はないが、なんと以前佐世保に来ていたことが判明!そうかあの時か! デュークに会える千載一遇のチャンスだったのに騒動に気を取られて気づかなかった。大失態。

1991年6月普賢岳の大火砕流の日、Gは任務を遂行していた。万が一どこかですれ違っていたら俺はすぐ気付くから、尾行して殺されていた可能性もある。会わずに命拾いしたのかも・・・・

助かった命で他の書籍も読んでいる。昔は入院中に100冊以上読んだこともあるのに、ノートPCと老眼を手に入れてから読書量が極端に減ってしまった。今回も持ち込んだのは6冊だけ。ネット以上に読書が大事と思っているのだが・・・

以前クラブのメンバーだった大学生に「趣味は読書」と答えると「えー?またまたー。本読むようには全く見えません」と言われた。完全にナメられている。一体どう見えてたんだろうか?

ま、そう見えない方が面白いと思っているので笑ってごまかしたが、その辺の大学生よりは余っ程読んでいるかもしれないぞ。

親の庇護のもとぬくぬくと暮らしている学生には想像できないだろうが、「敷居を跨げば7人の敵がいる」といわれている。競輪選手にでもなってしまったら8人だ。そんな社会の荒波で戦うのに最もお勧めできる実用書が「ゴルゴ13」だ。

就活に有利になることしか考えてない学生は、今すぐに読んでおいた方が良い。人事担当者に「G」の名前を匂わせれば別室で特別面接してくれるはずだ。

そうならなかった時は会社が悪いので諦めてくれ。

つづく

入院日記4

投稿日 2024年1月24日 水曜日

歩行器で動けるようになり、杖でよぼよぼ歩けるようになり、シャワーも一人で浴びれるようになった。可動域も行動範囲も日毎に広がっていく。

毎日着実に進歩している実感がある。人体の復活力はすごい。かつて大怪我から復帰した時、競輪関係誌に「不死鳥のごとく蘇った」と書かれたが、先輩からは「トカゲのように再生した」と言われた。フェニックスの方がカッコはいいが実際は地を這うトカゲの方が言い得ていた。

そんなトカゲでも身体は治ると強く思えば早く治るし、できると信じ込めば大抵のことはできる。今自分ができていないことは信じきれなかった領域だと思っている。

と恰好つけても、計測した杖歩行の速度は分速20mとトカゲより遥かに遅い。時速だと1.2km/hだが1kmどころか10分かけて廊下往復するのが精一杯。時がゆっくりと流れています。

俺は一人が好きなので個室に入っているが、廊下やリハ室で同じ病棟の老人達(しか見ない)の会話を聞いていると俺より早く次のプログラムに進んでる人たちばかり。専らの話題は今日の関節可動角度だ。

俺の次の日オペしたじいさんが固定バイクに乗り出した。俺もこっそり試したが膝が曲がらず全く乗れたもんじゃない。「あんたいい脚してるな。サッカーか体育教師でもやってるのか?」「いいえ腫れ上がってるだけです」「自転車はまだか?ペダルを回すにはサドルの高さをだな・・・」とか親切にアドバイスもしてくれる。  自転車に乗るためのオペだったのにこれはやばい?元選手だとは口が裂けても言えない。

遅れてる・・・俺の方が遅いじゃないか。みんな俺より我慢強いのか?と凹みかけていたところ、看護師が「違う手術なんです。あなたはもう少しかかります」との事。

だろーね。みんな傷口開けて乗ってるかと思ってたぜ。

つづく

入院日記3

投稿日 2024年1月23日 火曜日

あと一歩で信頼関係が崩壊しそうなリハビリではあったが、昨日は俺の2倍に腫れ上がった足を若くて奇麗なPTが優しくマッサージしてくれた。信頼関係復活。

そもそも俺はこの程度の痛みででグダグダ言うような男ではない(ほんとか?)。被災地では2週間以上風呂に入れない。まともな寝床もない。水も食料もトイレも足りない。もちろん雪の日だってエアコンなんて効かない。そんな方々に対して失礼。

一時期歩けなかろうが、仕事ができなかろうが、多少痛かろうが、ここは別格の待遇だと感謝しなければ。普通の生活は本当は特別な日々なんだ。

もし今ここで地震や火事が起きたら?何もできない俺一人では逃げ遅れて死ぬかもしれない。そういう人達が日本中にたくさんいるはずだから、自分が困った時を想像して、備えと互助の精神は大切にしとかないとね。周囲の人には優しくしましょう。

いつもと違う生活をすることで、日頃を見直すこともできる。痛い目にあっても美女に優しく揉んでもらえるし、不自由からは自由と有難みを知ることができる。

人生万事塞翁が馬。苦がなけりゃ楽だと判らないんだから痛みに耐えてリハビリ頑張っとこう。

つづく

入院日記2

投稿日 2024年1月22日 月曜日

手術翌日から始まった復帰プログラムは1時間の拷問を2セット+テクニカルトレーニングと自主トレ。あと大事な睡眠。寝ることで細胞を蘇らせている。

毎度のことながら復帰トレーニングの方が日常のトレーニングよりもしんどい。急激に落ちた体力と筋力と感覚を元の位置まで引き上げるのは結構な根性がいる。

しかも早期復帰しないと生活できないとなれば必死にもなる。がしかし、今の俺は元の位置もかなり低くレースを走るつもりもないし、プロ選手レベルになる必要は全くない。というより出来ないから昼寝しながら気楽にやれる。

なので皆さんが「焦らずやれよ」と言ってくれるように焦ってないのだが、予想外に病院側がグイグイやってくる。今やっとかないと後が大変だとかなんとか言って。

鉄は熱いうちに打てとでもいうように、かっ捌かれた傷跡を引きちぎるように機械で無理やりひざを曲げられる。(俺)「ちょい待ち!これまじ傷口開いてるでしょ?」(ナース)「いーえ破れた人はいませーん」(俺)「いや絶対これ血が出てるって」(ナース)「出たら見せてくださーい。おばあちゃんでももっとやりますよー」この繰り返しが毎回続く。激痛。

ちくしょう!女は痛みに強いともいうし、年寄りは筋肉無いから曲がるんだろ。『傷口破れて再手術になった例を知ってる』と俺は医療関係者から聞いて知ってるんだぞ。聞かなきゃよかった。 尋常じゃない痛みに「俺の手術は失敗では?」とまで疑心暗鬼になってくる。

しかも1時間後の拷問終了の時間だけは忘れず止めに来てねと毎回念押しするのに、ぴったりに終わることはまずない。5分~10分近く遅れて停止ボタンを押しに来る・・・・ううぅ俺の根性を試しているのか?いやフィジカルより先ずはメンタルから鍛え直せということか?  こうなったらナースコールだけは絶対押さん!根性見せてやる!と冷や汗たらしながら耐える毎日。入院中にかなり人間不信になった。

これを読んで思い出す仲間もいるだろう。修業時代にゴール直前で「あと200もがけ」と言われてた事、「1kmで垂れるなら1200全力で行け」と走らされたあの頃と全く同じ気分だ。この1秒の長さがわかっているのか?

医療従事者と患者の信頼関係を引き裂くこの機械だけは早く卒業したい。

つづく

入院日記1

投稿日 2024年1月21日 日曜日

いつも思うが、健康は失った時にしみじみ有り難さがわかるもの。そして自分の体が思うように動かない時の辛さは当事者になって初めてわかる。

現在人工膝関節全置換手術を受けて入院中です。ようやくPC開くことができるようになったので、AECが「廃業?」と勘違いされないようにできる範囲で更新します。

自転車のパーツと同じく何か一つ使えなくなっただけでも生活に不自由極まりない身体。経験上、頭>背骨や腰の中心部>下肢>上肢>末端かな?幸い脳みそはヘルメットのおかげで(たぶん)壊したことないけど、指先だけでも不自由します。内臓系はもっと大変かもしれません。

だから今回は中~低程度の不自由。将来を考えたポジティブな治療だし、日にち薬で回復する見込みがあるので楽観的です。

とはいえ麻酔から目を覚まし、朦朧としたままの数時間。徐々に感覚は戻るも引き換えに痛みは増し、体に力は入らず部分的に筋肉を動かすこともままならない。体にはチューブが数本、次から次に液体を注入されているし出してもいる。看護師さんがいないと死ぬかもしれない・・・くらいなにもできない。何度やってもうんざりする。

「普通の健康って最高だなー」「忙しい程やることが多いっていい事だ」「誰かの世話になるんじゃなく人の役に立てる時間は大事」とかいろいろ噛み締めることができる入院生活。

若くて健康で何でもできる時に「仕事なんてせず遊んで暮らしたい」とか思うのは単なる無いものねだり。アホな考えは捨てましょうね。

つづく

人口半減

投稿日 2024年1月17日 水曜日

2023年の名目GDPはドイツに抜かれ世界4位の予想。どんどん落ちていく。日本は人口が多いから一人当たりだと恐らく40位以下になるんじゃないかな?

そして2100年今の小学生がジジババになった頃、日本の人口予測は今の半分6300万人(俺はもっと早く減ると思う)。このままいくとどうなる?仕事は?

よっぽどお気楽か子供じゃない限り、2~30年前の日本とは比較にならない弱さに気付いているはず。あと10年いや5年後も今の政治家の質が変わらないなら「最速落下後進国」は明らかだね。

被災地よりウクライナや外国人留学生に税金献上し移民受入れ推進。アベノマスクやら停電で使い物にならないマイナカードやらを管理者都合で強引に押し付ける様な奴らは、日本人を救う気まったく無し。

それでも多くの日本人は「政治よりエンタメ」「今だけ金だけ自分だけ」「お上が何とかしてくれるだろ」なんだから仕方ない。いつか神風吹くと思ってるのかも?

もうこうなったら国民総貧乏の暮らし方、海外勢にこき使われる生き方、薬漬けで生かさず殺さずの食生活・・・突然来ても狼狽えずに生き延びる方法を探しとかないと。

でも投票を罰則付き国民の義務にすれば変わるかもね。

とりあえずマイナ保険証になる前に手術受けとこ。

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このブログについて

スポーツエイドステーションアルカンシェルは長崎県で初めての自転車競技をメインとした会員制スポーツクラブです。

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