選抜大会観戦2
2024年3月31日 日曜日
高校選抜を見て感じたことはいくつもあるが、昔に比べると一年生から活躍する子が多いと思う。中学生までに競技を経験する子が増えたから?身体がでかいのも多いし、食い物の違い?
一年生から当然機材も半端ないフルカーボンの高級品。俺らの学生時代はタイムを出せない者はバイコロジーオレンジに塗った水道管を溶接したようなヘビー級自転車を充てがわれてた。星飛雄馬の練習を参考にしていたくらいだから、破れたサドルと36Hホイールで重量を克服し強くなるしかなかった。
当時一年生で優勝するのは数年に一人の天才レーサー。上下関係も厳しい部活内で三年生を乗り越えていくには練習以外の苦労もある時代だった。しかし今は優しい三年生と友達のような一年生。先輩の前に正座して有難い説教を受けることも、先生がヘルメットで生徒を殴るなんてことも恐らくなくなっているはず。
それらが関係あるのか分からないけど、一年生から強い選手はよく見る。何故なんだろ?
それと知人らと共通で話題になったギアの問題。国際的に活躍するために必要なギアとトレーニング。まだ最終的な答えは出ていないのだろうが、個人差と基本が大事という認識は誰もが持っている。結局色んなトレーニングをやらずに重いギアも軽いギアも回せないから、たくさん走らなきゃいけないということになる。
競輪選手養成所も「ゆとり練習」から再度方向転換するらしい。そりゃそうだろ。
* そういえば選手宣誓は大声の勇ましいやつで、ロード優勝はキングが事前に優勝候補と教えてくれた子でした。
選抜大会観戦
2024年3月30日 土曜日
小倉へ高校選抜大会を見に行ってきた。足の調子も不安定で迷っていたけど、面白そうな予感がしてすぐにホテルを予約。迷ったら行動あるのみ。
トラックレースの初日から最終日まで全レースを一人で観戦し、ドームとホテルの往復だけのつもりだった。が、観客席に入ろうとすると出世したJKAの職員との挨拶に始まって競輪界の先輩方や同期生、高校や大学でコーチや監督を務める知人ら意外と沢山の仲間と会う。
速度競争やポイントレースはNIPPOの大門監督とキング三浦さんの解説を横で聞きながら観戦。鬼のような二人が優しく「落車するなよ~」とかいう姿がにわかに信じられない。自分はもっとオラオラだったはずだが・・・
プロのポイントレースの走り方と展開の読み方を聞きながらワイワイ観戦してたら、キングに優勝宣言しに来た子が宣言通り逃げまくって優勝。盛り上がったなー。かっこよかったぞ。
短距離観戦は元トラックレース全日本最多優勝及びアジアチャンピオンの塩原君がちょうど挨拶に来てくれたので一緒に観戦。スプリントや1㎞の走り方と練習方法、機材の話など話題は尽きない。今は早稲田の監督になったそうでプライベートと仕事と自転車両立の大変さを熱く語ってくれた。
同じく昔一緒に競技普及活動でも汗を流した先輩は、強豪校のヘッドコーチ。日本一の選手をたくさん育て上げてる。秘訣の一部を教わったがここでは話せない。全国から数百人が教わりに来るらしい。さすがです。
夜は夜で先輩と秘密会議。寝不足と歩きすぎで足の調子は悪化。しばらく静養の必要ありだが収穫は多かったから行ってよかった。
観戦する分には抜群に戦略的中するのに自分が走ると簡単にはいかない。でもそれさえ読めなかったら話にもならない。練習もレースも頭脳と体力両方鍛えなきゃというのが共通認識でもあった。
紅こうじ
2024年3月26日 火曜日
紅こうじが含まれた健康食品で健康被害。回復した人も含めて現在26人が入院したらしい。
で、当然製品は自主回収。販売した会社の責任者は謝罪と対応に追われ、株価はストップ安。調査の結果、原因と思われたカビ毒は検出されず「未知の成分」が原因ではないかと言われてる。
そもそも食品に添加物で色を付けたりする必要ないと思っているけど、添加物が当たり前の世の中では「未知の成分」も当たり前だろう。人間が全てを知ってるわけじゃない。だから不要なものは身体に入れたくない。
ところが、コロナ、インフルエンザ、子供の予防接種と、素人には何が何やら分からない薬と言われる劇物を赤ん坊のうちからボスボス打ち込み続ける勇ましい人々。怖くないのか? 俺は怖い。
これまでの常識を覆し、たった数カ月で完成したというコロナワクチンでは、副反応認定になってるだけでも数千人が死亡や重篤症状に陥っているのに。昨年夏時点で過去45年間全てのワクチンの被害者を大きく上回っているのに。更にまだ99%は因果関係不明と調査する気もない。
何故製薬会社は謝罪も補償も自主回収もしないのか?何故これだけ世界中に毒バラまいた会社と国会議員と組織は責任を取らないのか? 国と製薬会社の無茶苦茶無責任な契約も明らかになっているのに何故TVでは紅こうじ以上に追求しないのか?
金に目がくらんだ奴らは身内以外の命をなんだと思ってる?
選手宣誓
2024年3月24日 日曜日
来週始まる自転車競技の高校選抜大会。その一足先に始まった選抜高校野球。
どうせ見るならプロの方が面白いから殆ど高校野球は見ないけど、ニュースで選手宣誓を見た。
なんじゃあれ?ぼそぼそと元気なく会話するような宣誓。音読か? まあそれが今風になってるとは知っているけど、もうちょっと声高々にでもいいんじゃない?「宣誓」なんだから自然と気合も入るし意気込みがにじみ出る方が自然じゃないか?無理やり抑えてるように見えて仕方なかった。
なんでもかんでも冷静がカッコいいわけじゃない。自分の感性で方言使って健闘を誓うとか、体全体で表現するとかの方が学生の自主性を重んじてて面白そう。
大人が若者を型に嵌めてやらされる式典は面白くない。何も考えない人間を育てるのが目的なんだろうけど、大学生でさえ反発しないんだから仕方ないね。
火曜日から小倉メディアドームへ選抜大会観戦に行ってきます。選手宣誓あるのかな?
他人の権利を侵害せずに、世間の常識に囚われずに、タガが外れた行動を起こせる若者を見たいおじさんです。
生きてる証
2024年3月19日 火曜日
膝の回復具合を見るために少しだけ外を走ってみた。様子見だからそろりそろりと走って違和感があればすぐ止めるつもりで。
だが久しぶりに走るので心臓は動かず未だギアを掛ける訳にもいかず低速走行。MTBとはいえあまりにも遅い。遅すぎて倒れるんじゃないか?身の程知らずにも悔しくなってついついピッチを上げていく。だが気持ちだけが体より前に進み身体とのギャップはどんどん開いていく。
但し関節の軌道がきれいになったからか、毎日ローラーに乗ってるからか、足はそこそこ回るので心拍は上昇しスタート5分で吐き気がしてきた。
それからはほぼ休む間もなく「ヒーヒーハーハー、ヒッヒッフー」とラマーズ法で走り続ける。途中何度もリーバース寸止めで飲み込む。これって無限補給食では? あまり早くから追い込むのは良くないし、そもそも追い込む必要など全くないのに何故だ?酸欠でなにも考えられない。
死ぬほど低速なのに救急車要請レベルに苦しんで走る姿は他人に見せられたもんじゃない。知らない人が見たら危ないおじさん。だが平静を装う余裕もない。このペースじゃもたないとか先の事など考えずとにかく「ヒッヒッフー」と命を繋ぎながら走り続ける。
たった45分のサイクリングで抜け殻になり、座り込んでもシューズが脱げない。この放心状態がきっと自転車の楽しさ。レースを戦う緊張感や恐怖心は無くても、体を使い切る充実感はある。止まらない汗と心臓の苦しさ、これが生きてる証か。
負けても悔しくない方法
2024年3月15日 金曜日
レースシーズンの足音が近付き、みんなのやる気も徐々に上がってくる(はずの)季節。
本当は一年中レース前のモチベーションを保てたら最高なんだけど、本番までに間があるとどうしても「まだ時間あるし」と気持ちが入らない。精神力が強い人はそこが違うから強くなるしカッコいいんだよね。
冬場の練習を怠けていて春に結果が出るわけないし、夏に間に合うはずもないのだが、目の前の惰眠やおやつやYouTubeの誘惑に負けてしまう人たちの気持ち・・・・よく分かる。 サイクリングは趣味なんだからそれでもいいと思うし、楽しくやるのが一番。俺も目標設定が低いから負けじと存分に誘惑に流されている。
だけど強くなりたい人は別。どこで割り切るかによってスポーツは楽しくも苦しくもなる。 練習は頑張らず楽な範囲でやっていれば苦しくはないけどたいして面白くもないだろ。 千切れそうになった時に血圧上げて我慢する方が、すぐに諦めて離れていくよりやる意味あると思うけど「頑張れ!」はもはやパワハラ?
自分の限界に挑戦することもなく、言い訳して踏み止めるのは簡単。「強くなりたい」と言いつつ、なるべくきつい練習はしたくないと中途半端に走るくらいなら寝てればいいのに。
それでも朗報。頑張らない人にも利点はある。レースで負けても悔しい思いをせずに済む。成績がどうであろうが走るだけでぬるま湯につかったような心地良さだけは味わえる。目標を常に低く持ち、自分自身に期待していないのだから全てが上手くいくに決まっている。
逆に真剣にやればやるほど涙を流すほど悔しい思いもするし、つらく苦しい体験もしなきゃならない。そのうえ目標が高く達成の可能性は低い。だけど大きな喜びを得る時も稀にある。
どっちの生き方が面白い? 選ぶのは各自の自由だけど、AECのクラブでは後者に喜びを見つける人を応援したいですな。
江里峠T.T参加者募集
2024年3月04日 月曜日
今年の冬はあんまり寒くなかった気がする。一番寒かった時期に入院して引きこもってたからかも?自転車で走るにはちょうど良い季節になってきたので、そろそろ恒例の江里峠タイムトライアルを行います。
期日 : 3月31日(日)9時アルカンシェル集合
締切 : 参加希望者は29日までに来店時かメールでお申し込みください。
資格 : 当店のお客様で主催者の安全指示に従える方。
内容 : AECよりスタート地点まで自走(約8km)し、5.2㎞の峠道を2本計測。
費用 : クラブ会員以外1,000円。 高校生以下無料。
詳細は参加申し込み時にお知らせします。
進化なのか
2024年2月25日 日曜日
50年程度の歴史しかこの目で確認はしていないが、その間も自転車は進化し続けてきた。
5→6→7→8と多段化が進み今では12枚は当たり前。13Sさえある。そもそも変速方法が膝蹴りからスイッチポチに変わったのは大きい。面白味は薄れたけど。
コッタードのクランクはコッタレス化しBB共々中空になった。ここはかなりの軽量化。剥がれ落ちる事もあるけど。
ブレーキの進化は言わずもがな。下りは命懸けだったフニャフニャキャリパーは、コントロールに十分な効きを通り越して握り過ぎ注意オートバイ並みの制動力にまで進化。その挙句ブレーキの効きとテクニックが伴わず、タイヤを太くするしかない有様。そのうちABS着くだろ。
空力とバランスとりながら共に進んだ軽量化は、剛性アップと電動化とDISC化等で逆に重量化するところが面白い。カンパがクイックレバー無くすとか進化か退化かよく分からん。
人力の強化を置き去りに一体どこへ進もうとしてるのか?外見は大きく変わったが素材の進化以外でどれだけ速く走れるようになったんだ?
メルセデスが掲げた2030年までのオールEV化はCEOが早くも「やっぱ無理」と進路変更面舵一杯。自転車もどこかでいきなり方向転換あるんじゃない?
行ったり来たりは面白いし、ファッション同様に流行回帰とかもある。過去にもドヤ顔で出したが消えて行ったアイデアも多い。だから進化の流れに乗ってその変化の波を楽しむのも趣味の世界では正解だろね。
今後も進化の過程は楽しみに思っているからそれはそれで良いが、乗り心地とか素人無視のゴリゴリスパルタンバイクも無くさず作り続けて欲しいと思っている。
そして独り勝ちトヨタ潰しで欧州勢が結束しても、実用が伴わなければ平気で前言撤回するように、仮にシマノが同じ目に合っても「世界基準の嘘」に振り回されないで欲しいです。
練習日誌
2024年2月19日 月曜日
日々仕事をするという当たり前の生活にも順応してきた。動き回るのはもちろん、イスに座っているだけでも疲れていたのが、体の動きが良くなるにつれ楽になってきた。
膝の可動域を広げるために固定バイクのサドルを下げて足を回し続ける。関節がストップする位置が早すぎて尻が持ち上がるのを痛みに耐えながら慣らしていく。
一歩進んで半歩下がる毎日。レースに復帰とかじゃなく「不自由なくサイクリングできれば」と到達目標が低いので、選手時代と違い焦りは全くない。今は半歩進捗でも毎日欠かさず練習(リハビリ)する事に意味がある。記録を見れば一目瞭然。
筋トレとローラーを毎日2時間ほど。たったこれだけで今は満足できるんだからお安い御用。やりたくても出来なかったのが、やれるようになったのだから苦痛と感じないこの気持ちを忘れないようにしたいね。
自由に体が動きいつでもできる時はサボろうとするのに。時間なんていくらでも作れるのに忙しいと言い訳してサボろうとするのに。できなくなるとやりたくなる。人間はアホやな。
残りの人生が短くなって、できる事が少なくなる前に気付いた人は幸せ。若者を見てると時間の使い方が勿体ないとよく感じるが、程度の差はあれきっと俺も似たようなものだったろうね。
何度も痛い目に合って、体を壊して不自由な生活をして、おっさんになってとするうちに気付いてくる。この経験を今後にうまく生かせるかは意志の問題。だから忘れないように書いている。
少年よペーパーレスの時代かもしれないけど、練習日誌はしっかり(綺麗な字で)書いた方が良いぞ。
師弟関係
2024年2月14日 水曜日
最近落語家の弟子が師匠をパワハラで訴えたというニュースを見て違和感を覚えた。
落語家は普通自ら頼んで弟子入りするから、弟子にしてもらっておいて師匠の指導が気に入らないと噛みついたって事かな?
その前提ならば弟子にはモノを教わる覚悟が無かったって事じゃなかろうか?指導方法は師匠次第。一度「よろしくお願いします」と頭を下げたのだから、指導が自分に合わないならその人を選んだ自分を責めるべきで、これまでの指導に礼を言って早く辞めるべきだった。
今20歳の学生で先生に殴られた子は少数だろうが、60歳で昔殴られなかった男はもっと少ないはず。それが普通なのだから憎しみを持つだけじゃなく殴る先生からも何かを学ぶ術を覚えていた。「そういう時代だから」と理由を付けて、どんな師匠からも学ぶことはあるのに自ら放棄してる。
芸を磨くために労働時間も公私の区別もなく働くことを有難いとする弟子もいれば苦痛に感じる弟子もいる。「師匠が弟子に合わせて指導しろ」なんて虫が良すぎると俺は思う。教わる資格なし。
どうせ丁稚時代に師匠の本意など理解できないし、全てを信じて従う気持ちが無ければ弟子入りなんて気持ちを持たない方が良い。自分に都合のいい所だけ教わろうなんて姑息な考えの弟子は師匠にとって迷惑でしかない。だから何度も弟子入りを断り気持ちを確認するんだろ。
伝統的な技術習得の世界に足を踏み入れるという事は「素人は黙ってやれ」ってことなんだからハラスメントなんて考えを持つこと自体、その世界に向いてない。進む道を間違っている。
師弟関係とはそういうモノじゃなかろうか? これは判決と違う意見だから俺が異常なんだろう。間違っても俺に弟子入りしようなんて考えは持たない方が良いですね。